築城年代は定かではない。はじめ岡野某が城主であったと伝えられる。
天正4年(1576年)上杉謙信は能登へ侵攻して七尾城を攻めたが容易に落城せず、謙信は能登の諸城を落として家臣を置いた。この時、富木城には藍浦長門が置かれた。天正5年(1577年)謙信が一旦越後へ引き上げると能登の将が反撃に転じ、誉田弾正が富木城に攻め寄せ落城。藍浦長門は自刃したという。
天正9年(1581年)織田信長が能登を制圧すると福富行清が城主となった。
城は比高10mから20m程の丘陵に築かれている。現在は畑として転用されて遺構はほぼ壊滅状態で僅かに堀の一部が残存しているという。