貞和2年・正平元年(1346年)富来俊行によって築かれたと云われる。
貞和2年・正平元年(1346年)三月には富来俊行以下、井上俊清・新田貞員・栗沢政景らが木尾嶽に籠っていたが、北朝方の吉見氏頼を大将とした軍勢に攻められ落城したという。
康安2年・正平17年(1362年)五月には富来斎藤次らが吉見氏頼の軍勢と戦って討ち取られ、七月には落城した。
城は広池川の北にある西へ伸びた尾根の先端に築かれている。
主郭中央に櫓台があり北と西に帯曲輪が残る。規模は小さいが尾根伝いの東側には三重の堀切を設けるなど堅固である。
県道23号線と県道51号線の交差点に石碑が建っている。 城へは林道が南北二本通っており、それなりの車であれば主郭近くまで登ることができそうである。
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