築城年代は定かではない。
大内氏を滅ぼした毛利元就は、荒滝城に杉元重を在番させると同時に中村次郎左衛門就久を竜山城に在番させている。
天正19年(1591年)には吉川元春の次男繁沢元氏(後の阿川毛利の祖)が竜山城主となる。関ヶ原合戦後は小早川秀包の嫡男毛利元鎮(後の吉敷毛利の祖)が殿居を領したが竜山城は利用されなかったという。
竜山城は開作川と小野川との間に聳える標高376.0mの城山に築かれている。
山頂の主郭を中心に南東と北東の尾根に曲輪を展開する。北へ伸びた尾根は堀2と堀3の三条の堀切で遮断しており、特に堀3は大堀切となっている。一方南の尾根は堀1があってこちらも二条の堀切であるが浅い。南から東側面にかけて畝状竪堀を四ヶ所設けている。
畝竪3の起点部分に薄い欠片が落ちていたが、16世紀頃のすり鉢の一部ではないかとのことである。
南の国道にある城見坂の近くから林道があり、城山の東山腹まで続いている。荒れてはいるが、途中までは舗装路で未舗装区間は車では走れない。
城山へは林道の途中から南尾根に登っていくルートがマーキングされているが、終点から西の山頂部へよじ登るのが確実だろう。
最寄り駅(直線距離)