毛利元氏は吉川元春の次男で、周防の仁保家の家督を継ぎ、後に繁沢元氏と称した。天正19年には近くの竜山城主となっていた。関ヶ原合戦後に周防国玖珂郡に所領を移され、慶長18年(1613年)に毛利姓に復姓して滝部へ移っているので、この館はこの時期のものであろうか。元氏は阿川毛利家の祖となっている。
毛利元氏館は豊北高校の辺りの土居ヶ原と呼ばれる丘陵に築かれていたという。高校の敷地造成によって丘陵が削られ、現在では明瞭な遺構はない。
豊城田高校の北側の入口付近に「毛利元氏館跡」の石碑がある。ここから南の細い道を入ってしばらく進むと、右側の山に続く階段があり、この上に「伝毛利館跡」の碑がある。