城主は、黒井盛朝の子である黒井基朝。三恵寺に向かって左側近傍の山中に多くの宝篋印塔や五輪塔がある。これらは、黒井一族とその家臣団の墓である。
出典は大内防長戦略誌 全。黒井氏の直系のご子孫である橋本氏、この内容は確認済み。
金怡山城は三恵寺のある標高190m程の城山(ジョウヤマ)に築かれており、現在は遊歩道が整備されている。
主郭は山頂と推測され、この部分は発掘調査が行われたようであるが、弥生時代の住居跡の遺跡が出てきたという。山城の遺構らしきものは山頂から南、東側山腹にある雛壇状の帯曲輪群とされるが、切岸も甘く曲輪として造成されたものかわからない。全体的に城跡の雰囲気があまりない。
三恵寺の駐車場まで車で行くことができる。境内から遊歩道があり、池の西側を登る道が城跡方面に向かう道となる。
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