築城年代は定かではないが室町時代中期に鷲頭弘忠によって築かれたと云われる。 鷲頭氏は大内氏の庶流で「大内氏庶流鷲頭氏系図」によれば、大内氏十六代盛房の三男盛保が周防国鷲頭庄の地頭となって鷲頭氏を名乗ったことに始まるという。
深川城を居城とした鷲頭氏は鷲頭氏三代鷲頭長弘の子盛継より別れた家系で、盛継の孫鷲頭弘忠は長門国守護代を務めていた。文安5年(1448年)鷲頭弘忠は大内教弘の大軍に攻められ、深川城は落城、弘忠は一族郎党自刃して果てている。これに先だって深川城の出城として深川湾に面した丘陵にこの亀山城が築かれた。
亀山城は長門市役所の東側にある丘陵に築かれている。 小高い丘陵は亀の形に似ていることから名付けられ、西が首で東が尻という。
城山は東側に堀切があり、中央がやや高く西下に東西に長い曲輪がある。南は切岸で、北側にも削平地が残っている。
南麓にある法蓮寺の前の道を奥に進むと墓地に至り、その奥から山に道が通じている。
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