延宝4年(1676年)内藤政亮によって築かれた。
内藤政亮は磐城平藩内藤忠興の三男で、寛文10年(1670年)忠興の隠居により新田一万石を分与された。はじめ湯本村に仮居所を設けたことから湯本藩とも呼ばれたが、延宝4年(1676年)に湯長谷に陣屋を築いて居所を移し湯長谷藩となった。
内藤政亮は分家したときに僧の勧めによって遠山を姓として遠山政亮と名乗っていたが、三代政貞のときに元の内藤姓に戻している。
湯長谷藩は一万石を分与されて始まったが、天和元年(1681年)に大番頭に任ぜられて二千石を加増、天和4年(1684年)大坂城番となり三千石を加増、併せて一万五千石となり代々明治まで続いた。
湯長谷陣屋は磐崎中学校のグラウンドの辺りに築かれていた。 磐崎中学校の南側にあるグラウンドの入口に「湯長谷藩館跡」の案内板があり、石碑も建っている。また、そこから南東の熊野神社方面に向かうと、南東隅部の土塁と空堀の遺構が残っている。
南西にある龍勝寺は湯長谷藩内藤家の菩提寺である。