築城年代は定かではない。 はじめ宇部氏(海辺氏)の館であったと云われる。
大永年間(1521年〜1528年)頃に一戸南部氏の支流、南部源左衛門義親がこの地に入部し、後に野田氏を称した。野田氏はその後野田城を築いて居城を移し、宇部館はその支城となったとみられている。
天正20年(1592年)野田城破却後に野田直親はこの宇部館に移ったとも新館を築いたともいわれる。南部氏が盛岡城を築いた後は野田氏は盛岡城下に移り、盛岡藩の野田通代官所が置かれた。
宇部館は宇部川上流の東へ突きだした丘陵先端に築かれている。南北に流れる支流は館の東側で合流して宇部川となり、館の南側は川によって削られ急斜面となっている。
宇部館は西へ続く尾根を二重の空堀で断ち切っている。空堀に面して土塁があり館八幡が祀られている。この西側の部分に折れを伴う虎口がある。
国道45号線陸中宇部駅前の交差点より200m程西への交差点を南へ入り、直ぐ右側の住宅地の道路の奥に「南部藩代官所跡の碑」と宇部館の案内板がある。ここから館八幡に至る道がある。
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