築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)頃に久慈信実によって築かれたと云われる。 久慈氏は南部氏庶流で南部光行の子朝清を祖とする。
天正19年(1591年)九戸の乱で久慈直治・政則父子は九戸政実に荷担して九戸城に籠城し、搦手の副将を努めて奮戦したが、九戸城の開城に伴い政実とともに捕らわれ豊臣秀次の陣で斬首に処せられたという。
久慈直治の父信義の弟十郎は異母兄との仲が悪く出奔して津軽郡代の石川高信を頼り、大浦氏の養子となって初め平蔵と名乗り後に為信と名乗ったという。この人物が初代津軽藩主の津軽為信と云われるが、これについては諸説あるという。
久慈城は慈光寺の東側にある南東に伸びた丘陵に築かれている。 丘陵の南端西側の最高所が本丸で東に向かって二の丸・三の丸といわれる段がある。南の中腹には馬場跡、背後には堀切が残るという。
国道281号線沿いには看板、山口地区公民館の所には立派な案内板があり、遊歩道の案内が書かれた地図まで用意されているのだが、おそらく何ら手入れされていないのだろう。山上は草が伸び放題で遊歩道はほとんど道が消え、三の丸に建てられた東屋も草に埋もれている。
国道281号線沿いに大きな看板がある。慈光寺を目指していけば間違いない。草道を避けるなら地図の書かれている案内板から慈光寺方面に車道を進み手前に折り返す道があるので、これを進むと比較的マシな道で本丸までいける。
最寄り駅(直線距離)