陸奥 寺池館むつ てらいけだて

城郭放浪記


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陸奥 寺池館の写真
掲載写真数
形態
丘城(32m/25m)
別 名
寺池城,登米要害,臥牛城
文化財指定
なし/不明
遺 構
城 主
登米葛西氏,木村吉清,白石氏(登米伊達氏)
歴 史

築城年代は定かではないが葛西氏によって築かれたと云われる。葛西氏は下総国葛飾郡葛西荘発祥で、葛西清重は奥州藤原氏攻めの戦功によって奥州に広大な所領を得て奥州総奉行に任命された。

葛西清重は奥州藤原攻めの後に鎌倉に戻り幕府に出仕しており、奥州の所領は二男朝清に与えられて寺池に下向し奥州葛西氏となった。南北朝時代には寺池葛西氏と石巻葛西氏に分かれたが、戦国時代には寺池館が葛西氏の居城となっていた。

天正18年(1590年)奥州仕置きによって葛西氏は改易となり、奥州仕置で功のあった木村吉清が三十万石で寺池館に入ったが、葛西大崎一揆が起こり木村父子は佐沼城に押し込められ、援軍として駆けつけた蒲生氏郷・伊達政宗によって助けられた。一揆の責任を問われた木村吉清は改易となって氏郷を頼って客将となった。

木村氏の旧領は政宗に与えられ、伊達氏家臣白石宗直が水沢より移り登米要害として維持された。白石氏は天和2年(1682年)伊達姓を賜わって登米伊達氏となり明治まで続いた。

説 明

寺池館は北上川の西岸の丘陵に築かれている。現在は裁判所や宅地となっており、遺構はほとんど残っていない。入口に冠木門など城跡を模した建物がある。

案 内
最寄り駅(直線距離)
5.4km 柳津駅
5.9km 御岳堂駅
6.9km 陸前横山駅
8.9km 陸前豊里駅
主な参考文献
日本城郭大系〈第3巻〉山形・宮城・福島(新人物往来社)
所在地/地図
宮城県登米市登米町寺池字桜小路
付近の城(直線距離)
1.8km 陸奥 保呂羽館
2.2km 陸奥 高橋館(登米市)
2.3km 陸奥 浅部茶臼館
2.9km 陸奥 月ノ輪館
3.8km 陸奥 美濃館
3.8km 陸奥 楼台館
4.0km 陸奥 大沢館
4.9km 陸奥 赤生津館
5.0km 陸奥 善王寺館
5.2km 陸奥 長谷館
5.6km 陸奥 荒戸沢館
5.7km 陸奥 大瓜館
5.8km 陸奥 鼎館
5.9km 陸奥 大膳館
6.1km 陸奥 赤生津要害館
6.3km 陸奥 米谷城
6.4km 陸奥 柳津館山館
6.4km 陸奥 前館
6.8km 陸奥 久寿田館
7.0km 陸奥 茶臼山館
7.5km 陸奥 月輪館
7.8km 陸奥 柴崎館
8.1km 陸奥 岩切館
8.5km 陸奥 湖水館
最終訪問日
2009年9月
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