築城年代は定かではないが葛西氏によって築かれたと云われる。葛西氏は下総国葛飾郡葛西荘発祥で、葛西清重は奥州藤原氏攻めの戦功によって奥州に広大な所領を得て奥州総奉行に任命された。
葛西清重は奥州藤原攻めの後に鎌倉に戻り幕府に出仕しており、奥州の所領は二男朝清に与えられて寺池に下向し奥州葛西氏となった。南北朝時代には寺池葛西氏と石巻葛西氏に分かれたが、戦国時代には寺池館が葛西氏の居城となっていた。
天正18年(1590年)奥州仕置きによって葛西氏は改易となり、奥州仕置で功のあった木村吉清が三十万石で寺池館に入ったが、葛西大崎一揆が起こり木村父子は佐沼城に押し込められ、援軍として駆けつけた蒲生氏郷・伊達政宗によって助けられた。一揆の責任を問われた木村吉清は改易となって氏郷を頼って客将となった。
木村氏の旧領は政宗に与えられ、伊達氏家臣白石宗直が水沢より移り登米要害として維持された。白石氏は天和2年(1682年)伊達姓を賜わって登米伊達氏となり明治まで続いた。
寺池館は北上川の西岸の丘陵に築かれている。現在は裁判所や宅地となっており、遺構はほとんど残っていない。入口に冠木門など城跡を模した建物がある。