延徳3年(1491年)南部光信(大浦)によって築かれたと云われる。 津軽藩初代津軽為信の祖とされる光信は、延徳3年(1491年)九戸郡下久慈より入部した南部一族と云われる。
文亀2年(1502年)光信は大浦城を築き、子の大浦盛信を置いた。光信は大永6年(1526年)種里城にて没し、以後、大浦氏は大浦城を本城として五代為信の代に至る。この為信は久慈城主久慈信義の弟十郎が津軽郡代の石川高信を頼り後に大浦氏の養子となったという説がある。
種里城は赤石川西岸の丘陵に築かれている。丘陵は西側の山塊と山続きであるが、北と南から大きく谷が入り、半ば独立したようになっている。
本丸は発掘調査が行われ多数の柱穴が検出され、現在平面復元されている。その前方には光信公の像と歴史資料館「光信の館」が建てられている。残念ながら「金・土・日曜日」しか開館していないようである。
西側の谷下には光信の廟があるが、ここが二の丸だという。また沢の北側は御家中屋敷跡と呼ばれている。現在は東下を道が通っているが、従来は西側に街道があったのであろうか。
国道101号線、陸奥赤石付近から県道180号線に入り道なりに進んでいけばたどり着く。途中至る所に道標がある。
最寄り駅(直線距離)