慶長12年(1607年)毛馬内権之助政次によって築かれた。 南部毛馬内氏は三戸南部政康の五男靭負佐秀範が毛馬内二千石を領して当麻館に入部した事に始まる。
慶長12年(1607年)真次の時、南部信直の命により柏崎館を築き、それまでの居城であった当麻館より移った。寛永19年(1642年)真次が没すると嗣子範氏が幼少であったため、寛永20年(1643年)大湯へ所替えとなり、代わって大湯より真次の弟毛馬内直次が柏崎館に入った。明暦3年(1657年)桜庭兵助由之が閉伊郡より所替えとなり、柏崎館は要害屋敷と呼ばれ明治まで続いた。
柏崎館は大湯川に小坂川が合流する地点の北東にある河岸丘陵の南西端に築かれている。
本丸は南西端にあり、北東方向に空堀で隔てて二の丸・三の丸と続いていた。 現在本丸の北東端に土塁が残るがやや食い違いになっている。本丸と二の丸を隔てる空堀には土橋が架かる。二の丸は中央に道路が通っているが、南側に奉行所があり、御蔵と呼ばれる地には御蔵稲荷神社が現在も残る。二の丸と三の丸を隔てていた空堀は埋め立てられ一帯は宅地になっている。
仁叟寺を目指すのが良いでしょう。仁叟寺から南に進んだ所にある鹿角市先人顕彰館のある一帯が武家屋敷跡で、突き当たりを左に曲がっ丘の上に上がった所にある館町内会館付近に案内板があります。
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