築城年代は定かではない。文治5年(1189年)源頼朝による奥州藤原攻めの功により、葛岡郡一帯を恩賞に得た畠山重忠が城を築き、弟畠山重宗を代官として派遣したのが始まりとされる。
戦国時代には葛岡監物が城主であったが、天正18年(1590年)豊臣秀吉による奥州仕置きによって主家大崎氏が改易となったため、葛岡氏も所領を失った。
葛岡城は梅林寺の北背後の丘陵に築かれており、現在整備されている。
かつては墓地として利用されており、梅林寺から城跡まで作業道がつけられるなど改変も見られるが、全体として良く残っており、かつ草木が刈られて見学しやすく整備されている。
葛岡城は南北二郭で東側は自然の急坂となるため、残る三方に横堀を巡らせている。北の主郭は北端が平坦で土塁が付き、南側は二郭に向かって緩やかに傾斜する。二郭は北側に土塁が付いている。主郭と二郭の間、西側に横堀と独立した土塁による開口部があり、この辺りが大手であろうか。
梅林寺の駐車場に案内板が設置されている。そこから上の墓地を経由して登っていく道がある。
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