築城年代は定かではない。明応5年(1496年)には源頼継が広田城主であったという。
天正年間(1573年〜1592年)には大和田掃部が城主で葛西氏の家臣であったが、天正19年(1591年)大崎葛西一揆として挙兵し桃生郡深谷殿入沢で伊達軍と戦って討死した。
広田城は広田小学校の南西に聳える標高90m程の山に築かれている。
山頂の主郭は広く土塁が巡り北西隅が高く、南東に虎口がある。主郭を取り巻くように段曲輪が麓近くまで巡っているが、どの辺りまでが城域なのかははっきりしない。
東の峠付近から山に入ることができる。
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