築城年代は定かではないが千葉氏によって築かれたと云われる。 桓武平氏千葉氏の一族が気仙沼郡矢作へ入部し、さらに分かれた一族が八幡館を居城として高田氏とも称したという。
千葉氏安房守広綱の時代に米ヶ崎城を築いて移り、その後は家臣高田壱岐が在城したという。
東館城は高田城、八幡館とも呼ばれる城で、陸前高田市の市街地の北にある比高50m程の山に築かれている。
天照御祖神社の西上に南北に長い主郭があり一部土塁が残る。この部分には高田城の標柱がある。北は空堀を隔てて八幡神社が祀られた曲輪がある。この部分は八幡館とも呼ばれ、千葉広綱時代の本丸とも考えられており、この曲輪も土塁が付いて北が一段高くなり大堀切への続く。さらに北尾根にも曲輪が続いていたが、一部は住宅地として造成されている。
2011年東日本大震災以降はじめてこの地を訪れたのだが、多くの人々が暮らしていたであろう市街地は更地のまま土地の嵩上げ工事中で、ナビに残された無数の道路は一本もなく、ただ新設された復興道路があるのみであった。あれから七年の月日が経っているにも関わらず復興にはまだまだ長い月日が必要であることを感じ、一日も早い復興を願うばかりである。