築城年代は定かではないが正和年間(1312年〜1317年)頃に安倍貞李(安藤貞李)によって築かれたと云われる。
藤崎城を拠点として津軽に根付いた安藤氏は鎌倉時代後期頃に十三湊へ移り、蝦夷との公益で栄えていた。永享4年(1432年)安藤康李のとき南部守行・義政父子によって攻められ福島城と唐川城は落城、康李は柴崎城へ逃れた。この戦いは室町将軍足利義教の命によって康李の妹が南部義政に嫁ぐことで和睦がなされたが、嘉吉2年(1442年)再び南部氏に攻められ、安藤氏は津軽を離れて蝦夷島へ逃れた。
十三湊安藤氏は、その後南部氏に捕らわれていた安藤師李(後の政李)が南部氏から田名部を賜り、十三湊安藤氏を相続した。しかし政李は享徳3年(1454年)に田名部から蝦夷ヶ島へ渡り、二年間滞在したのち小鹿島へ上陸、その末裔が檜山安東氏となっていく。
福島城は十三湖の北岸にある微高地に築かれている。
広大な面積を有する福島城は内郭(内城)と外郭(外城)からなり、内郭に安藤氏、外郭にその一族や家臣たちが居城していたという。
内郭は広大な方形の区画で現在北側の土塁と水堀が良く残っており、入口には木橋や門が建てられている。
外郭は内郭の外側で、東の土塁と空堀は国道に面していて確認しやすくなっている。この他、南の方に東土塁2と空堀、北西に伸びた尾根に西土塁1と空堀などが残っているようである。この辺りは東土塁1の近くに遺構配置図が掲載され案内板が設置されているのでそれで確認するのが良いだろう。
東土塁近くの公園に駐車場がある。内郭はまた少し離れていて駐車場はないが、入口近くに駐めるスペースはある。