築城年代は定かではないが三田綱秀によって築かれたと云われる。
三田氏は勝沼城を居城としていたが、小田原北条氏に備えるため辛垣城を築き居城を移したという。しかし、永禄6年(1563年)北条氏照によって攻められ落城し、三田氏の嫡流は滅亡した。
辛垣城は三田氏の菩提寺である海禅寺の北方に聳える標高457mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
辛垣城のあたりは石灰岩の採掘によって地形が変わっているところが多く、特に主郭は大きく削り取られている。
主郭となる山頂部は大きく削り込まれ周囲が高土塁のように残り、南に大きく竪堀状に削られた地形が残る。北側には堀切状の窪みもあるが、これも遺構かどうか怪しい。
東尾根側は良好に残っているが、2つの小ピークを簡単に削平した曲輪があり、その先に大きい堀切で遮断している。西尾根や南尾根にも腰曲輪状の削平地の先に堀切が確認できる。
全体的に広範囲に遺構が点在しているが、曲輪は離れた位置に散らばっておりまとまりに欠け、古い時代の縄張である。
登山道は各方面から多数存在している。
今回は三田氏の菩提寺である海禅寺に車を駐めさせていただき、枡形山城から物見山経由で辛垣城、南尾根を下るルートで歩いた。
最寄り駅(直線距離)