築城年代は定かではないが元和4年(1618年)頃に伊奈忠治によって築かれたと云われる。
伊奈忠治は関東郡代とも称された伊奈忠次の次男であったが、家督を継いだ兄忠政が没すると小室藩の家督は忠政の嫡子忠勝が継いだが、関東郡代の代官職は忠治が継いだ。
忠治の家系は伊奈家の庶流であったが、嫡流は忠勝が夭折して領地没収となり、家督はかろうじて弟忠隆が継いで千石余りの旗本として存続した。忠治の家系はその後代々関東郡代として活躍したが、寛政4年(1792年)伊奈忠尊のとき御家騒動によって所領は没収され赤山城も廃城となった。
赤山城は川口東icの南側一帯に築かれている。現在は畑や宅地などとなっているが、県指定の史跡となっており、遊歩道沿いに本丸や二の丸の空堀が残されている。
東の県道161号線から山王神社(山王公園)への細い道を入ると赤山城見学者用の駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)