築城年代は定かではないが旗本遠藤氏によって築かれた。 正保3年(1646年)郡上藩主遠藤慶利が没すると、遺言により三男常紀に千石が分与され旗本となったことにはじまる。この千石和良遠藤氏ははじめ乙原村に陣屋を構えたが、後に下洞村にも陣屋を構えた。
千石和良遠藤氏は遠藤常紀を初代とし、常英、常住、常郷、常徳と続き、その後何代か続いて明治に至る。
下洞陣屋は鹿倉川の支流である真那洞ヶ川沿いに築かれている。全国に無数にあったと思われる旗本陣屋が現在ほとんど場所すらわからなくなっているなか、この下洞陣屋は遺構もほぼ完存し、見学し易いように整備されており、非常に貴重な存在である。
下洞陣屋は一番外側である東側に大きな石を用いた石垣があり、南東隅に大手を開く。大手門は右折で入ってそのままスロープを登ると役所の正門となる。陣屋内部は細かく段が別れており、石垣などが残る。陣屋には築山や庭園もあったようである。
国道256号線の下洞から川沿いに北上すると左側に案内板が出ている。近くの路肩に駐車可能。