詳細不明。『東作誌』では尼子氏の城跡であるので比丘尼城と言い習わすとする。
比丘尼城は大町と長谷内の境目あたり、標高280mのなだらかな丘陵に築かれており、現在すぐ下を未舗装林道が通っている。
南北二郭の城で北が高く主郭となる。現在南の二郭に比丘尼城跡の標柱が建てられている。遺構は山仕事によるものと思われる改変が多少見受けられ、細部が不明なところもある。
主郭Iは南半分に土塁を設け、一部は南に張り出している。虎口は東端に二郭に通じる虎口1があり、入口は一段低くなる。西端にも一段低くなった地形があるが、開口せず穴蔵のようになっている。
曲輪IIも低い土塁が巡り、東端に虎口2がある。虎口2の土塁は内折れになっており、東尾根から進むと正面に土塁を伴う切岸があり、右へ回り込んで入る導線になっている。また、南側にも虎口のような形状が2ヶ所確認できるがはっきりしない。
主郭と繋がる虎口1の下部は東側が竪堀状になっており、一部凹んでいるところもあって堀切の可能性がある。
南の長谷内側から未舗装林道がある。未舗装林道に慣れた人なら城跡まで普通車でも行くことができるが、途中に駐車スペースなどはあまりないので、歩いていくほうが無難である。
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