築城年代は定かではないが明応年間(1492年〜1501年)に長野業尚によって築かれたと云われる。
箕輪城主長野氏の重要な支城であったが、永禄9年(1566年)武田軍は箕輪城とこの鷹留城との連絡を分断して孤立させ、鷹留城は落城、城主長野業通は落ち延びた。
鷹留城は長野氏の菩提寺である長年寺の北西、根古屋集落の北の山に築かれている。
鷹留城は主郭から南に大きく三つの曲輪があり、周囲より一段小高くなり、その周囲を帯曲輪や横堀などが取り巻いている。主郭の北は横堀になり、東側面へと回りこんでいる。その北に二条の堀切があり、北端の堀切には土橋が架かる。
大手は南端曲輪の西山腹にあり、そこから竪堀状の通路を登って帯曲輪に入っていく。
北側にきれいな農免道があり、そこから簡単に主郭まで行くことができる。
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