築城年代は定かではない。
永禄3年(1560年)上杉謙信が沼田城の沼田顕泰を攻めた際、沼田を迂回して長井坂に布陣し、北条氏との連携を断って沼田城を降伏させている。
天正6年(1578年)武田の武将真田昌幸が沼田城を攻略すると、真田氏(武田氏)と北条氏と境目となる。天正10年(1582年)本能寺の変の後、沼田城代となった矢沢頼綱は北条方の津久田城を攻めたが敗れ、翌天正11年(1583年)には津久田地衆の狩野隠岐守が長井坂城で真田方の軍勢を撃退している。本郭的な城が築かれたのはこの頃と推測されている。
長井坂城は永井川が利根川合流する地点の東側にある台地の北西端に築かれている。渋川市赤城町(本丸)と利根郡昭和村(二ノ丸・三ノ丸)の境にあり下には関越道がトンネルで通っている。
長井坂城は西端に本丸、東に二の丸、北から二の丸東側面を覆うように三ノ丸を配している。この本丸と二の丸との間の空堀が江戸時代に沼田街道として利用されていたが、城が活用されていた時代からの街道であったかどうかは詳らかではない。
二の丸、三ノ丸といった辺りは開墾されているが、遺構自体は良く残されている。ただ江戸時代に街道になっていたこともあって街道脇の土塁が破壊されている部分があり、本丸の南側と二の丸の繋がりなどがよく分からなくなっている。街道部分を消滅させて繋ぎ合わせてみると、西端の本丸を取り囲むように二の丸、三ノ丸となっていたようにも見える。
国道17号線の対岸にある県道255号線から道標が出ている。城の北下にある永井集落側からのほうがわかりやすいだろうか。農道が二の丸まで続いているが、三ノ丸を入った辺りに駐めて歩いて散策するのが良いだろう。
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