天正9年(1580年)二月、武田勝頼は真田昌幸を普請奉行とし韮崎市にある七里岩と呼ぶ絶壁の上に築城を開始、同年九月にはほぼ完成し躑躅ヶ崎館を破棄して移った。
しかし、織田軍の進撃の前に在城わずか二ヵ月余りで、小山田信茂の進言により新府城に火をかけ、岩殿城を目指して退去した。
新府城は釜無川と塩川との間に伸びる七里岩に築かれており、西は釜無川に面した断崖となっている。
本丸は最高所の神社が祀られた広い曲輪で周囲に土塁がある。南や西には土塁で仕切られた曲輪群が多数あり、東は急斜面となっている。南端に桝形と馬出しを組み合わせた虎口があり大手と考えられている。
北は自然の断崖の下に帯曲輪と水堀が巡る。帯曲輪から二ヶ所堀側へ張り出しがあり出構と呼ばれている。北西の崖に面した部分に虎口があり、入口は桝形で内側は土橋が付いている。
県道沿いに駐車場が用意されている。
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