築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に日一揆によって築かれたと云われる。
応永23年(1416年)に上杉禅秀の乱が勃発すると甲斐国守護武田信満は禅秀方に与して戦ったが敗死した。これによって甲斐国守護の武田氏は衰退し、代わって一族の逸見氏や穴山氏、跡部氏といった有力国人が台頭する。 こうしたなか、輪宝一揆と日一揆という二つの小豪族集団があり互いに対立、日一揆は武田信長に与し、輪宝一揆は逸見氏や跡部氏と与して敵対し、永享5年(1433年)に荒川原で戦って武田信長・日一揆方は大敗を喫し壊滅した。
天正10年(1582年)武田氏が滅亡して織田信長が本能寺の変によって倒れると、北条氏と徳川氏によって旧武田領の争奪戦が繰り広げられた。家康が新府城に本拠を移した際に、日ノ出城が修築されたが、北条氏との和睦により役目を終えた。
日ノ出城は三之蔵沢が塩川に合流する地点の北側にある丘陵に築かれていた。 現在は大半が畑となっており旧状はわからないが、トリテ・土居・官女屋敷・牛が馬場などの地名が残っている。
国道141号線絵見堂交差点から東へ曲がり、県道616号線を東進する。川を渡って谷間を登っていくと日ノ出城への道標が出ている。 道標に従って進み、最後の丁字路を南下した所に石碑と案内板が建っている。
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