築城年代は定かではないが享禄年間に一向一揆によって築かれたと云われる。 加賀国守護富樫氏を降した一向一揆に対抗して加賀に侵攻した朝倉氏に対する備えとして築かれたという。
織田軍による加賀侵攻では、鳥越城の前衛として攻防が繰り広げられ落城。織田氏方の拠点として改修されたといわれる。
岩倉城は上麦口集落の北東に聳える標高296mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
比高は約200mとさほど高くはないが、上麦口集落からは奥まった山にあり、麓から山頂は見えないと思われる。
主郭は山頂の曲輪Iで南北に長く土塁で囲繞する。虎口は3個所確認できる。
北端の虎口1を出ると曲輪IIがあり、北端が東へ張り出す。この張出はそのまま曲輪IIIの虎口5に対して横矢を掛けになっている。虎口4は外側に屈曲する土塁があり、曲がりながら入る構造になっている。
曲輪IIIは東に虎口5を開く。虎口の外側は横堀1があり、横堀の土塁がそのまま虎口の土橋となって入るようになっている。南西隅にも開口しているが、用途は不明である。
主郭から西に開口する虎口2は外側に小郭Vがあり外枡形状の虎口である。この虎口も帯曲輪IVと小郭Vで固められている。
主郭の南方に開口する虎口3は帯曲輪IVに接続するが、そこから南へ伸びる尾根は自然地形のままで特に遮断施設はない。現在はこの尾根から岩倉観音に続く山道が接続している。
南西尾根には「米左衛門屋敷」とされる平場がある。緩斜面を削り込んだ平坦面があり、一部土塁状になる。ここから虎口6まで堀底状の道が接続する。岩倉観音との分岐の先には水場(湧き水)がある。
国道360号線、上麦口バス停付近に案内板があり、そこから登山口まで道標がある。
登山道は谷筋を登るように設置されていたが、現在は崩落しているのか尾根を登る迂回ルートが整備されている。
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