築城年代は定かではないが馬来氏によって築かれたと云われる。 馬来氏は清和源氏山名流で山名師義の五男満綱が摂津国馬来村に住んで馬来氏を称したことに始まるとされ、出雲守護職となった山名氏に従って下向した。
馬来氏は山名氏の後、尼子氏に従い尼子十旗の一つに数えられた。その後は毛利氏に従い、関ヶ原合戦で防長二カ国に減封となるとそれに従って移った。
夕景城は馬来城とも呼ばれ、標高396.6mの矢筈山山頂に築かれている。 「矢筈」の名が示す通り、東西二つの峰がある山で、西の峰が主郭、東の峰にも曲輪群がある。
主郭は山頂南端で土塁が付いて幅広の櫓台のような地形が残り、北西隅付近に石積跡らしき加工された石が残っている。主郭から北北西に向かって階段状に曲輪が続いており、全体的に東側に土塁が付いていて、北端は土塁囲みになっている。主郭から南へ伸びた尾根に鋭角に竪堀を組み合わせた堀切が二条残っている。
主郭から東の峰にある東曲輪群に至る途中の鞍部は塚状の土壇を挟んで両側が凹んでおり、堀切であったのかもしれない。東曲輪群は東峰の山頂を中心に西、南、北に平段が付いているが主郭ほど明瞭なものではない。主郭から東麓が見えないので、これを補うのが目的であろうか。
東麓の大畝集落にある金言寺は大イチョウが有名なお寺らしいのだが、ここに夕景城の石碑がある。
整備された道はない。北東麓の堅田集落に「矢筈山夕景城址(入口)」の案内がある。ここから入って行くと作業林道の入口があり、そこに駐車できる。
作業林道を歩いて行くと右側に平段が出てくる。もう少し登るとさらに平段があるのだが、作業林道はこの辺りで薮に消えていく。この辺りで左の沢の反対側(少し戻ると分岐がある)へ渡り、あとは地形なりに植林された山を南へ南へと登っていけば東峰に至る。殆ど東峰の山頂付近まで植林されたきれいな人工林の山なので、急斜面ではあるが簡単に登ることができる。
最寄り駅(直線距離)