築城年代は定かではない。天正17年(1589年)三沢城主三沢為虎が所領を没収されこの地を去ると、毛利家臣伊達采女正信清が当城に入ったという。
烏見城は標高433mほどの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
東西に長く伸びた尾根の西端最高所が主郭となり、そこから東に向かって段曲輪が連なる。また北西下に一段土塁を伴う曲輪VIがある。
主郭は東から南側面にかけて土塁があり、曲輪IIとの間にある土塁は高くなる。南の土塁はやや低くなり、曲輪IIとの間はそこから行き来するようになっているが虎口であったかどうかは不明である。むしろ東側から曲輪IIにあがってきた場合、その奥にある主郭が見えないようになっている。
曲輪IIから東端の曲輪Vまでは南側にある通路で繋がっている。東端部は側面に竪堀1、登山道がついている北東下に二段ほどの甘い段があり、北側に竪堀状の溝が確認できるが堀かどうかは不明である。
『島根県中近世城館分布調査報告書』掲載図面に北側面に五条の竪堀群が記載してある。現在は一面笹薮になっているが三条ほどの竪溝を確認できた。場所は切岸下方でやや傾斜がゆるくなる辺りであるが、ヤブの中に埋もれており細部は未確認である。
主郭から北西下に降りると土塁のついた曲輪VIがあり、その下方に堀切3が確認できる。土橋がかかっており、その先は自然尾根のようであるがやや大きい竪堀状地形4がある。
北麓の道路、ちょうど製鉄所入口の向かい側に登山口がある。登山道は笹薮を刈って整備してくれている。整備されなければあっという間に藪に埋もれてしまうような植生である。
駐車場はなく、どこか広い道の脇に駐めてくるしかない。
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