『芸藩通志』には「丸原山 油木村にあり、涌喜徳若丸居守せしといへり、」とある。この涌喜氏は釜峰山城主の涌喜(湯木)氏だろうか。
丸原山城は西城川と六の原川が合流する地点の北西、標高757mの山に築かれており、出雲、伯耆国境に近い。
山頂から南北に伸びた尾根に曲輪を配している。主郭は最高所で一段小高い土壇Iを備えている。土壇の南下に石を使っている部分があり虎口1のようである。曲輪は主郭Iを中心に南北に段々と連なり、それを囲繞するように武者走りがある。
主郭部の南端虎口2のあたりには土塁が残る。虎口2から下るスロープはそのまま竪堀4まで続いて消滅している。現状の山道は尾根を乗り越して曲輪IIに繋がっており、スロープは城道と考えられる。
主郭部の北尾根は二重堀切1と三条の畝状竪堀群2があり、北西方向へ竪堀を長く伸ばしている。
東尾根には堀切3があるが、西へ続く尾根には堀切が確認できなかった。
南端は南西方向に伸びる尾根に三重堀切5、南東方向に伸びる尾根に堀切7を配し、その間南側面に二条の連続竪堀6を設けている。
堀切7の先にも小規模な曲輪群IIがある。
話を聞いた地元の方は城があるのをご存知であった。登り方を聞いたところ、北鞍部から西へ伸びた谷筋を登るルートを教えていただいた。 このルートの入口には民家が一軒あり、その裏手から入ることになるので、訪ねてみたが不在であった。
三重堀切5の先に作業林道の終点が見えているが、このルートは使っていないので不明。
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