宍道氏によって砦が築かれたのが始まりとされるが、 本格的な築城は永録4年(1561年)毛利元就によるものいう。
永録4年(1561年)毛利元就は石見国を切り従えると満を持して出雲国へ侵攻した。 毛利元就は鳶ヶ巣城へ陣を築き、鰐淵寺に詣でて尼子晴久の一命をもらいうけるよう祈祷したという。
毛利氏が尼子氏の居城富田城を攻略して出雲を平定すると、大内氏に従って後に毛利氏に降っていた宍道氏が旧領を回復して鳶ヶ巣城へ入った。
関ヶ原合戦後、毛利氏が防長二ヶ国に減封となると宍道氏はそれに従って移り廃城となった。
城は宍道湖北部の北山山地の一角にある鳶ヶ巣山の山頂に築かれており、現在は登山道も整備されて公園となっている。
主郭は山頂にあり東西にやや長い楕円形であるが、あまり広くない。 この山頂から四方へ伸びる尾根に曲輪が配されており、南尾根は公園として良く整備されている。 土塁は各曲輪で確認できるが、東郭と北郭が比較的良好に残っている。
この山頂に残る遺構とは別に登山道から少し登った所にも城郭遺構が残る。この麓の城郭遺構は霊雲寺付近にまで広がっており、広大な平坦面が残っている。
登山道は国道431号線沿いにあり、霊雲寺よりやや東側にある。 道沿いに看板が出ているのでわかりやすいが、国道431号はバイパスが作られようとしているので、そのうち旧道となりそうである。
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