詳細不明。城主は尼子家臣の大西三河守(だいさい)と伝えられる。
『島根県中近世城館分布調査報告書』では富田城攻めのときに毛利氏が改修したのではないかと推測している。
八幡山城は上岡田町と野石谷町との境にある南北に主軸を持つ山に築かれている。
南北に伸びた尾根上に曲輪が連なり、現状では南端最高所が主郭と思われる。北下の曲輪iiとの間には大きな凹みがあり、堀か貯水池のような用途だろうか。この東下山腹に素堀の深い穴があり井戸と思われる。曲輪iiの東からスロープで曲輪iiiに至る。曲輪iiiとivの間は堀切のようでもあるが虎口であり、東下の曲輪vと繋がっていた可能性が高い。曲輪vとviの南に竪堀1、2、3があるが、これは単なる竪堀だけでなく通路であった可能性がある。曲輪viの北端から東へ降りて行く道があり、北側に土塁状の地形が残る広い緩斜面地形に繋がっている。
北端の曲輪ivは高い切岸で北に堀切があり更に少し下った所にも小さな堀切がある。曲輪の西下は緩斜面であるが、ここにやや幅広い畝状竪堀群を設けている。この畝状竪堀群は珍しい二段になっているようでさらに上段と下段では食い違って配しているように見える。
主郭の南東下に社が祀ってあり、南東麓からここに登る山道がある。南東尾根は二条の堀切2があり、その先に一段曲輪viiがある。一方南西の尾根は現状曲輪のようになっているが、南に竪堀があり本来は堀切であった可能性がある。この先は自然尾根で遺構はない。
東側の県道232号線から上岡田のバス停の少し北側に溜め池のある谷に入る道が付いている。ここから入ると溜め池の側の小屋を越えた辺りに尾根上に上がる道が付いている。これを進むと荒廃した竹藪の中に参道が付いている。また現在この尾根の北側の谷が造成されており、その終点がちょうど登山口の入口近くになっているので、これを利用することもできる。地図
最寄り駅(直線距離)