詳細不明。城主は尼子義久の鉄砲小頭小川石衛門勝久と伝えられる。
権現山城は国指定史跡「権現山洞窟住居跡」のちょうど上の山に築かれている。
権現山城は南東に張り出した尾根の先端を二重堀切によって遮断し、現在はここに社が祀られているが、ここは出丸のようで、主郭は北西側にある。 現在この出丸部分はよく整備されており、上下二段の曲輪で入口付近は土塁状の高まりが付いている。
二重堀切を越えていくと果樹園や畑となった台地があるが、その更に奥の北側に主郭がある。草木が茂っているがこの木の下に宝篋印塔が二基残されている。北西下にはやや広い池があり水をたたえている。
国道431号線森山郵便局の東のカーブの所に「権現山洞窟住居跡」の入口の道標がある。少し入ると「権現山洞窟住居跡」があるが、その山上に登る道はその少し先にある土蔵と民家の間の道で、一見庭先にでるように見えるが山上に階段が続いている。
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