築城年代は定かではない。尼子十砦の一つで和田源右衛門が在城した。
亀遊山城は光現寺の東にある東西に長い比高20m程の低丘陵に築かれていた。
現在県道9号線が丘陵の中央を貫通して東西に分かれているが、もともとは一つの丘陵であった。東西とも墓地となっていて遺構は不明瞭ではあるが、曲輪の段は比較的そのまま残っているような印象を受ける。「島根県中近世城館分布調査報告書」に掲載されている縄張図を見ると、現在県道が貫通している部分はもともと鞍部であり、東西二郭から成っていたものと思われる。
案内板は設置されていないようであるが、県道脇に石碑が建っている。