築城年代は定かではないが北条氏によって築かれたと云われる。 天正16年(1588年)には豊臣秀吉に備えて大改修され、伊豆衆の一人清水上野介康英を城主とした。
天正18年(1590年)豊臣水軍は長宗我部元親・脇坂安治らを大将とする一万余りの軍勢で城を囲んだ。対する北条方は清水康英を大将としてわずか六百余名の兵力であった。 五十日余りに及ぶ籠城の末、開城勧告を受け入れ降伏した。清水康英は当初林際寺に謹慎し、のちに三養院へ移り隠棲し、翌天正19年に没した。
下田城は下田湾に張り出した鵜島に築かれており、現在は下田公園となっている。
下田城は湾に張り出したやせ尾根の山に築かれており、北西から南東へ伸びる尾根を中心に、東へ伸びた二本の尾根に曲輪を展開する。 曲輪は非常に手狭で、「天守台」と伝えられる主郭部がやや広い程度で、山上にはそれほど多くの兵を置くことは不可能である。この尾根上の曲輪とは対照的にその下に設けられた横堀は深く、一部には障壁を設けて畝堀となっている。畝堀は特に主郭の下の部分に良く残されている。
下田公園の駐車場は北にある。または南の水族館側からも登る事ができる。
向かいにある道の駅「開国下田みなと」の中に「ハーバーミュージアム」という展示施設があり、ここに下田城の模型が展示されている。
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