築城年代は定かではないが文明年間(1469年~1487年)に宇都宮三河守成綱によって築かれたと云われる。
鎌田ヶ城主宇都宮氏は西園寺氏に従っていたが、天正9年(1581年)宇都宮三河守直綱のときに謀反の疑いによって土居清能、上城主上甲伊豆守貞好らに攻められ滅亡、その後は上甲伊豆守が城を任されたという。
鎌田ヶ城は稲生川に面して西へ伸びた標高363mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
西へ伸びた険しい尾根上、東端最高所の主郭Iから西へ向かって段々に曲輪を造成している。
主郭の東背後は石積を伴う分厚い土塁で、内側には小さな池のような窪みがある。北側に一段低く武者走りになっており石積みがある。
西下には東西に長い曲輪IIがあり、主郭よりやや広い。南側に洞窟に降りて行く道があり、ここに南の谷から登ってこれれば大手筋になるかもしれない。
さらに西尾根を下ると曲輪IIIから電波塔のある段まで、削平の甘い岩が露出した段が続いている。
主郭の背後にはやや離れて堀切2があるが、その間に緩斜面地形IVがある。東端は堀切1でその間にある尾根Vは物見と書かれているが自然尾根のようである。
西麓にある溪筋郵便局の前に登山口があり案内板が出ている。搦手は北側で道標があり民家脇から登るルートであるが、こちらは倒木などがあり分かりづらくなっている。
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