築城年代は定かではないが天正年間(1573年〜1592年)に亀山城主の関盛信によって築かれたと云われる。
天正11年(1583年)関盛信が年賀のために羽柴秀吉のもとを訪れている隙に、関氏の家臣で反羽柴派の岩間七郎左衛門などが亀山城を奪い、新所城も亀山城と同じく滝川一益に渡された。これに対して秀吉は大軍を率いて北伊勢に侵攻するが、このときは新所城のある鈴鹿峠を通らずに峯城と亀山城を攻め落とし、その後にこの新所城も奪い返した。
新所城を奪い返した秀吉は浅野長政や朽木元綱らに命じて普請させ城を固めさせた。
新所城は東海道(国道1号線)と大和街道(国道25号線)が交わる地点に聳える標高153mの城山に築かれている。
城山は独立丘陵大きく三箇所のピークがあるが、これらが独立した曲輪群となっているのが特徴で、曲輪の遺構は山全体の尾根に展開する。
標高153mの山頂のある曲輪群が一番大きく、東西に伸びた尾根に曲輪を展開する。土塁のない削平された曲輪群であるが、南山腹にはしっかりした竪土塁があり、その南端は鈎状に屈折して虎口のようになっている。この南尾根は浅く長い堀切が一条ある。
山頂から南東へ伸びた尾根の先端にある曲輪の中心は西に枡形状の虎口があり、東側に土塁を備え北東端は櫓台になっている。小さいながらもこの曲輪は厳重である。
新所城の遺構かどうか不明な点が多いが、北西麓には時代不明の石垣群が残されている。
国道1号線の北側に関宿の観光駐車場がある。ここに車を駐め歩道橋を渡ると南側に二つの運送業者があるが、この間の敷地を奥へ入った所に城山入口の看板がある。
山の中は特に道が整備されているわけではないが、尾根上は歩きやすい。そのまま東へ尾根伝いに歩いて行けば下山できる。
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