築城年代は定かではない。
城主は富増伊予で天正7年(1579年)に北畠の軍勢を撃退したが、天正9年(1581年)には織田氏によって攻められ落城したという。
掛田城は伊賀上津駅の南方で、北へ向かって伸びた丘陵の比高30m程の所に築かれている。
主郭は大きく高土塁を四方に設け、その外側を空堀で区画して台地から切り離している。南の隅部には穴蔵式の小さな空間があり、櫓台とも考えられている。虎口は西に開いており、その外側に折れを伴う帯曲輪空間が拡がっている。
神社の参道を少し登った所の北側が城域となる。
最寄り駅(直線距離)