築城年代は定かではない。天正6年(1578年)北畠信雄は伊賀の領国化を図り、家臣の滝川三郎兵衛に丸山城の修築を命じたが、完成する前に伊賀国衆らによって攻められ落城した。その後、織田氏の大軍によって伊賀が制圧され、三郡は信雄に与えられた。これによって信雄は家臣滝川三郎兵衛雄親に再び丸山城を築かせたと考えられている。
丸山城は木津川とその支流によって囲まれた標高212.9mの山に築かれている。現在は主郭まで見学路が設けられている。
丸山城は山頂の主郭を中心に周囲に拡がる山全体に曲輪群を配した広大な山城であったようだが、主郭部が比較的整った縄張りであるのに対し、その周囲は普請が甘くなっている。
主郭には一段小高く方形の土壇があり、この上に丸山城の石碑が建てられている。南にあるのが桝形、北東側にも虎口があり、北は土塁が内折れ、南は横堀が入る構造だが、いまいち用途が不明である。主郭の西側面には横堀も見ることができる。
登り口は南の集落側にあり、公民館の駐車場が利用できる。
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