築城年代は定かではない。延元4年(1339年)高城城主の肝付氏が畠山氏に敗れて野尻城に入ったと『高山郷土史』にあるようで、南北朝時代には存在していたと推測されている。
天文年間(1532年〜1555年)には伊東氏の重臣福永丹波守が城主で、伊東氏48城の一つであった。
野尻城は城之下川に面した段丘の上に築かれている。現在は「野尻城井戸」が市指定史跡となっているが、城の遺構も比較的良好に残っている。
本丸は台地の東端近くにあり、井戸があるところは「新城」と呼ばれ広大な畑として開墾されている。井戸から東へ進んでいくと巨大な空堀で区画された曲輪群があり、二条の空堀を越えると本丸がある。本丸は空堀の南から登るルートと南側面を通って東側に回り込んで登るルートがある。東へ回り込むルートの途中には畝状竪堀状の地形がある。東へ回り込むと物見とされる小さな段があり、そこから空堀を登ると東端の曲輪との間の虎口に至る。
城の南を通る道路の西から城内の畑に入る道があり、入口に道標がある。車はこの道路沿いにも置けるが、農道を入って城内に入る入口付近にも置くことができる。
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