肥前 矢上城ひぜん やがみじょう
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詳細不明。城主は矢上氏と伝えられる。
矢上城は標高85mほどの山に築かれていたが、高城台の造成工事によって消滅している。また南の麓に「館」(たち)という地名が残るがこちらも遺構はない。
造成工事にもとなう発掘調査で主郭を中心に東西に3つの曲輪を連ねた山城が確認され、多数の柱穴が検出、出土遺物や文献資料などから14世紀中期から15世紀中期ころに築城されたと考えられているようである。