詳細不明。有浦氏の居城と考えられている。
戦国時代の有浦氏は岸岳城城主波多氏の重臣であったが、波多氏が改易となると寺澤氏に仕え、のちに天草へ転封された。
高江城は上村川と下村川の合流する地点の北東に聳える標高134mの山に築かれている。
高江城は南西最高所の主郭と北東尾根の二郭で構成されている。
主郭はかなりの広さで中央付近はきれいに削平されているが、周囲にいくにつれ緩斜面となり、そのまま自然地形になっていき切岸はあまり明瞭ではない。二郭に続く北東尾根は二箇所の堀切で遮断し、内側は主郭側に塹壕のような甘い堀切がついて二重堀切になる。
主郭の西端の辺りに数条からなる畝状竪堀群があるのだが、これも一般的な切岸下を起点とするような竪堀ではなく、なだらかに傾斜している斜面から起点として伸びており、本当に城郭遺構なのかという疑問が湧く。
北東の二郭は自然地形の尾根であるが、そこから鞍部に差し掛かるところに堀切があり、堀切はそのまま横堀状に北側に二段で続いている。
高江城は平成9年から16年にかけて発掘調査が行われており、16世紀を中心とした遺物が出土、柵列や掘立柱建物跡、玉砂利遺構などが検出されている。
高江城の東の山上が果樹園で車道が続いている。この終点から未舗装の作業道を一旦下って鞍部からさらに登れば城域となる。
車は途中の余白に置いて歩いていった。
最寄り駅(直線距離)