天正17年(1589年)小西行長によって築かれた。
佐々成政が失政により摂津尼崎で自刃すると肥後の南3郡二十四万石で小西行長が入封し、宇土古城の東に新城を築いた。
関ヶ原合戦で西軍に付いた行長は家康に捕らえられ斬首となる。 関ヶ原合戦後熊本の加藤清正によって宇土城は落城、肥後一国に加増された清正は元和2年(1616年)幕命により廃城とする。
宇土城は中世宇土城(宇土古城)の東に隣接するように築かれている。 現在は本丸部分が公園として整備され、小西行長像が建っている。
本丸の周囲の裾部分に石垣が巡らされている。西側の墓地が二ノ丸、南側には三ノ丸があった。公園の西側から南側にかけて緩やかにカーブを描きながら走ってる道が外堀に面しているようで、内側の田んぼが周囲より低くなっている。
宇土高校の西隣が城跡。北側の道路から墓地へ続く道があり、本丸と二の丸の間に駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)