文亀年間(1501年~1504年)の城主は宗右近太夫義勝という。
南山内の高城は標高95.9mの山に築かれており、現在登山道が整備されている。
主郭Iは三角点のある山頂にある。よく削平されて高い切岸が巡るが曲輪は狭く土塁もない。東下には帯曲輪、横堀状地形が半円形に巡っている。土塁の外側がほとんど自然地形のようなので、帯曲輪ではなく横堀であろう。
北、西は急坂で、南側は横堀の外側にも小規模な段が確認できるが、城郭遺構かどうかは明確ではない。東側は緩やかな尾根が続くのみで遺構はない。
山頂から北へ降りて行くと中岳と記された部分があり、若干土塁がついた曲輪状地形となる。南尾根側には浅い溝があり、西側面にも竪溝が確認できるが、自然地形と思われる。南北に続く尾根は幅広の登山道が敷設されており遺構は確認できない。
北と南に登口があるようだ。南側は産業廃棄物処理センター近くに駐車可能で登口の道標が出ている。
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