築城年代は定かではない。 城主は久木野四郎あるいは相良四郎、相良駿河守頼雄などが「古城考」に挙げられている。 また、「菊池軍記」には天正7年(1579年)5月中旬に、薩摩から新納武蔵守忠元が三千余 騎を率いて肥後に乱入し、豊河内の城を責め抜き、岩群というところに城郭を構えて守ったことが記されている。
久木野城は久木野川と桜川との間にある標高416mの城山山頂に築かれている。
単郭の城で山頂に主郭を配し南に数段の腰曲輪、北西に伸びる尾根にも一段の削平地を配している。東をほ除く三方に川が流れ、急峻な地形のためか北西尾根の先端には堀切が見つからない。東へ伸びた尾根は三条の堀切によって遮断している。山頂の曲輪はこの堀切に隣接ところが一段低く屈折して南に向かって通路になっており、虎口になっている。
北西尾根の曲輪はやや傾斜の残る段であるが、北東から北西端を削り残しの土塁とし、三段ほどの削平地を設けている。
南へ続く尾根は薮が深いところが多いが、先端部は開けており低い土塁が巡らされている。南西方向にも尾根が伸びているが未踏襲である。
久木野集落から芦北へ抜ける県道271号線を登ると、城山の東尾根のところに「漁民の森づくり会場入口」の看板がある。ここから西へ続く林道を入っていくと大きく開けた地にでる。ここに車を止めて更に林道を城山の方に歩いて行く。途中から尾根に入ると堀切に至る。
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