築城年代は定かではない。南北朝時代に八代名和氏の家臣本郷家久が城主であった。
戦国時代には相良氏の城であったが、天正9年(1581年)島津義久によって攻められ開城となった。天正15年(1587年)豊臣秀吉による島津攻めで島津氏が降伏したのちは秀吉の蔵入地となって城代が置かれ、文禄2年からは寺沢領、小西領そして関ケ原合戦後は加藤領となった。
慶長6年(1601年)中村将監が城代となるが、慶長16年(1611年)に加藤清正が没して忠広が家督を継ぐと翌慶長17年(1612年)に廃城となった。
水俣城は現在の城山公園一帯に築かれていた。
近世水俣城の中心は城山公園一帯と考えられているが、その縄張ははっきりしない。グラウンド造成で石垣が検出され、南の神社のある丘陵でも石垣が検出されておりこれらは加藤氏時代の遺構とされている。
城山公園に駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)