詳細不明。城主は上杉謙信の家臣戸倉与八郎と伝えられる。
戸倉城は標高242mの城山に築かれている。
城山の山頂が主郭と考えられるが、南の鞍部からさらに登ったところにも堀切と曲輪が残されている。
城山の山頂部は狭く、細長い曲輪の両脇に帯曲輪や腰曲輪が確認できるがいずれも狭い。南へ続く尾根に二条の堀切を設けている。
南峰は鞍部から登った先にあり、南背後に堀切が一条残る。曲輪は小規模で北側は切岸も曖昧で自然尾根となる。
五泉市史には江戸時代末期の館跡の絵図が掲載されているが、現在は水田のようである。
道はない。地元の方に聞いて天神社(十二宮)前の農道の奥から鞍部から登った。