築城年代は定かではない。伝承に依れば南北朝時代に新田義貞の一族の粟田左近頭によって築かれたと云われる。 案内板では「栗田左近」とあるが、城郭大系・新潟県中世城館跡等分布調査報告書ともに「粟田左近」と表記している。
その後も確実な史料はないが、田中筑後守有重、貞治元年・正平17年(1362年)には北朝方の上杉憲房の家臣の泉沢氏が城主となり、文明年間(1469年〜1487年)には泉沢河内守年親がいたという。
函山城は桜峰から北へ派生した尾根がさらに西へ伸びた先端頂部、標高291mの山頂に築かれている。山上まで林道があるので、簡単に散策できると思ってやってきたのだが、林道は深い雪に閉ざされ、万一のために持ってきた長靴に履き替えての散策となった。
函山城は東西に伸びた尾根に、堀切で区画した四つの曲輪群を連ねた縄張りである。 主郭は東から二郭目で一番広く、東側の堀切に面して土塁を設け、そこに案内板と石碑が建っている。西の堀切を挟んで二郭があり、東西に長い細い曲輪と小段が付く。更に堀切を挟んで西端に三郭がある。
ちなみに、このあとにお隣の内ヶ巻城を目指したのですが、国道に面した林道の入口から深い雪が残っており断念しました。
越後岩沢駅の北側から国道に出るまでの間に一本の道があり、それを東へ進む。300m程進むと五由里神社、不動寺などがあり、その先から南の線路を渡る道がある。線路を渡った先から林道で、城跡まで続いている。
最寄り駅(直線距離)