越後 稗生城えちご ひうじょう

城郭放浪記


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越後 稗生城の写真
掲載写真数
形態
山城(260m/198m)
別 名
なし
文化財指定
市指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
稗生氏,平子氏
歴 史

稗生城の「稗」は草冠の付く字が正しい。

築城年代は定かではない。はじめ稗生氏の居城であったという。 その後は平子氏(たいらこ)(大楽とも)の居城となった。 平子氏は桓武平氏で、相模豪族三浦氏の一族が相模国久良岐郡平子郷を本貫地として平子氏を称した事に始まるという。

相模の平子氏がいつ頃、越後に入部したのかは定かではないが、越後守護上杉氏に従って入国したものと推測されている。 越後守護上杉家の重臣として活躍した平子氏は、永正4年(1507年)守護代長尾為景が上杉房能を排除しようとした際、房能とともに関東に逃れようとしたが、天水峠において追いつかれた房能は自刃、従っていた平子朝政もこれに殉じた。

平子氏はその後長尾氏に降り為景・謙信に仕えたが、天正6年(1578年)の御館の乱で上杉景虎に味方し、上杉景勝によって攻め滅ぼされた。

慶長5年(1600年)の上杉遺民一揆では、五智院の僧侶海龍が三千八百の兵を率いて立て籠もったが、間もなく鎮圧されたという。

説 明

稗生城は信濃川の東岸に聳える標高260mの城山山頂に築かれている。

稗生城は単郭の山城で山頂にある三角形の平地を主郭としている。特筆するべきは、山頂から伸びる四方の尾根を全て堀切で遮断し、山腹には畝状竪堀群を多用していることで、特に北西側の畝状竪堀群は、規模も大きく北尾根を遮断した三重堀切から伸びる竪堀と連動した畝状竪堀群を見ることができる。

北西麓にある極楽寺は城主の菩提寺と伝えられ、宇都宮神社も城主に由来するという。

案 内

登山口は二箇所あり、一つは北西麓の極楽寺、もう一つが国道17号線小千谷バイパスの道の駅「ちぢみの里」である。周遊すると帰りがしんどいので、極楽寺から登りそのまま極楽寺へ降りてきた。

最寄り駅(直線距離)
1.0km 小千谷駅
5.8km 越後川口駅
6.1km 越後滝谷駅
7.6km 内ケ巻駅
8.5km 越後岩沢駅
所在地/地図
新潟県小千谷市大字稗生字城ノ腰
付近の城(直線距離)
2.1km 越後 小千谷陣屋
2.5km 越後 会水城
4.1km 越後 中潟館
4.1km 越後 妙見館
4.2km 越後 中潟城
4.3km 越後 高梨城
4.9km 越後 六日市城
5.5km 越後 時水城(冬城)
5.8km 越後 藤田沢城
6.0km 越後 吉谷城
6.2km 越後 釜ヶ入城
6.4km 越後 蛇山城
6.7km 越後 時水城(夏城)
7.3km 越後 鳥屋城
7.6km 越後 白倉館
7.8km 越後 内ヶ巻城
7.8km 越後 御楯城
7.8km 越後 桐沢城
7.9km 越後 阿蔵平城
8.2km 越後 法坂城
8.3km 越後 大谷内城
8.6km 越後 高山城
8.9km 越後 小国沢城
8.9km 越後 羽黒山城
最終訪問日
2011年5月
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