築城年代は定かではない。 南北朝時代の正平年間(1346年〜1370年)に新田義宗によって築かれたと云われる。 義宗は新田義貞の三男で、正平7年・観応3年(1352年)に関東で足利勢に敗れ越後へ逃れていた際に築いたと伝えられる。
その後の動向は定かではないが、永正年間(1504年〜1521年)頃に新田氏の末裔を称す上野氏がおり、上杉氏に属していた。最後の城主は上杉謙信・景勝に仕えた上野中務大輔長安で、上杉氏の会津移封に従ったという。
節黒城は信濃川西岸の標高362mの山頂に築かれている。ちょうど川西ダムの西側の山頂が主郭で、ダムの南側の尾根には一の木戸・二の木戸があるという。
節黒城は山頂の主郭を中心に北東、南東の両尾根に堀切で区画した曲輪を配し、西へ伸びた尾根は堀切によって遮断している。
中央の主郭は三角形で西側の堀切に面して一段高い土壇となっており、そこから西、南側にかけて土塁を巡らせている。主郭から南東に伸びる尾根には堀切で区画した三段の曲輪が続く。北東側の尾根は南北に長い曲輪で、北から東側に横堀が巡っている。
国道117号線、下条栄町交差点を西へ曲がり国道252号線に入って信濃川を渡る。そのまま進んで上野交差点で県道49号線に入り、上野小学校の横を通って県道を北上すると川西ダム、節黒城跡キャンプ場に上がる道がある。あとは道標にしたがって山を上がっていけば本丸のすぐ背後にある駐車場に至る。
最寄り駅(直線距離)