天正9年(1581年)丹与惣左衛門によって築かれたと云われる。
山形の最上義光が仙北の小野寺氏に備えるために金山城を築き、家臣の丹与惣左衛門に千石を与えて守らせた。
慶長5年(1600年)には鮭延氏の領地となり、その家臣薗部彦右衛門、さらに川田三右衛門と変わったが、元和8年(1622年)最上氏の改易により破却された。
金山城は金山小学校の北背後に聳える標高260mの楯山に築かれている。現在は山頂まで遊歩道が整備されている。
金山城は金山川に沿って長く伸びた尾根の南端頂部に築かれている。北から車道が貫通しているため、背後の遺構は破壊されているが、土塁と堀切があったようである。
曲輪内は大きく二段の曲輪があり、その周囲は急峻な地形となっている。
南西麓の稲荷神社の所から登山道がある。町役場などに観光用の駐車場がある。
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