築城年代は定かではない。由利十二頭の一人赤尾津氏の城とされる。
赤尾津氏は関ヶ原合戦後に改易となり、最上領となった由利には最上の重臣で楯岡城主であった楯岡(湯沢)満茂が入部し、赤尾津城を居城として赤尾津氏を称した。しかし慶長15年(1610年)満茂は本荘城を築いて移り廃城となった。
赤尾津城は岩城亀田集落の南に聳える標高170.2mの高館山に築かれていた。現在は山頂の本丸まで車道が通じており公園となっている。
本丸は公園と駐車場となって展望台があり、ここに高城本丸の石碑がある。案内板によれば西下にある段が二の丸で、北山腹にある櫓っぽい「高城動植物資料館」の古い建物が残る辺りが三の丸という。ただ、遊歩道を歩いてみただけだが、切岸と平段程度しか遺構が見えない。
西の県道69号線から分岐して天鷺ワイン城方面に進めば本丸公園への道標がある。
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